吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)を読む

  • 2018.02.13 Tuesday
  • 21:23

 

粉屋珈琲さんにて。

 

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カウンターの奥の棚に小口がこちら向きの文庫があった。
よって背表紙は見えず、カバーの端だけがわずかに写真のように見えた。
「岩波文庫の『君たちはどう生きるか』ですか?」と聞くと、驚いてなぜわかったのかと。
若いときに読んだ本であるというのもあるが、古本屋という仕事上よく扱っているのでと答える。

宮崎駿監督が、この本のタイトルの映画を制作中だということで、漫画化されたりと急に話題になり始めた。
Amazonで1円だったのが今600円くらいになっている。
1930年代の教養書が話題になるのは宮崎監督だからで、『風立ちぬ』もそうだった。
それは決して悪いことではないが、何か妙な感覚を覚える。

カウンターでそのまま1時間程度で読み切ってしまった。
昔に読んだことがあるというのもあるが、今でもすらすら読める文体。
ふと頭をよぎったのが、中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』と小川洋子『博士の愛した数式』だ。

『君たちはどう生きるか』の主人公は本田君だが、叔父さんにコペル君というあだ名をつけられる。叔父さんに日常の疑問や思索を展開し、叔父さんが真正面からそれを受け止めて答えていく、そうしてコペル君は成長していく。
ポイントは話すのが両親ではなく叔父さんというところ。
両親だと感情的になってしまうし、関係が薄くても親身になりにくい。
叔父さんというのが自分のように考えてくれ、冷静に議論できるちょうどいい関係なのだろう。中沢氏と歴史学者の網野氏の関係を思ったのもそこから。

『博士の愛した数式』も、主人公の男の子は博士にルート君というあだ名をつけられる。
博士は事故によって新しいことはすぐに忘れてしまうため、お手伝いに雇われたルート君の母親を通じてルート君と交友をむすぶ。
血のつながりはないが、無類の子ども好きのために親身すぎるほど親身になってルート君と語り合う。

今から見れば、わかりやすすぎる道徳小説のように見えるかもしれないが、叔父さんの子どもに対する眼差しはやさしい。そういった叔父さんのような存在を欲するがゆえにこの小説は若者に読まれてきたのかもしれないし、今でも求められているのかもしれない。
親や教師のような上から見る立場でもなく、仲はよくてもあいさつ程度の近所の人でもない、人生の先輩であり損得とは無縁のニュートラルな立場。それがあたたかみのある叔父さんとして具象化されている。

 

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