死ぬまでできることを基準に

  • 2018.03.10 Saturday
  • 21:06

 

今のご時世の変化は激しく、一生ものの仕事というものはそう多くはありません。

アメリカは定期券というものを持たないそうです。
なぜなら、いつクビになるかわからないから。
だから乗り物は回数券を購入するとのこと。
日本はまだそこまでではないですが、流れに応じて仕事も変化させていかなければならない。
今忙しく子育てしている人も、いずれは子育ては終わる。
そのときにぽっかり心に穴が開いてしまう人が多い。

その場その場でなすべきことを見つけていくのも大切ですが、単に刺激を求めて振り回されているだけにすぎなかったりする。
短期的なものは当然必要ですが、何かをするときに長期、それもこれは一生できるものかどうかという視点で見ることはさらに大切ではないかと思います。
永続するものが見つけにくいからこそで、死ぬまでやるかどうかはともかく、最期まででき得るものかどうかという視点。

私は以前から紹介してきました静坐、真向法を4年続けております。
毎日、朝は天津祝詞、般若心経、静坐の辞を唱えてから30分の静坐、それから真向法を5分ほど。
寝る前も真向法をやってから静坐30分。
30分できないときもたまにはありますが、ずっと続けられている。
誰に教えられたわけでもなく、そうしたいからそうしているだけです。
なにが目的ですか、どういう効果がありますかと聞かれても、目的はないし効果も求めていません。
何もしない時間をもつ、あえていえばしっかり生き切る練習
説明は不可能ですが、続けているということは何かそういうものがあるんだろう、くらいに思っていただければいいのでしょう。

静坐は座禅のように宗教色がなく、結跏趺坐のようにハードルが高くないのがいいところだと思っています。
しかし、別に坐禅でもかまいません。
ヨガでもいいですが、あまりにアクロバティックなものは年を取ってからは難しいでしょう。若いうちにしかできないことをやるのももちろんすばらしいことですが、それは短期的なもの。一生できるかどうかで見ると、真向法のような単純な体操やただ座るだけの静坐はずっと続けられる可能性の高いものです。

また、日常生活の一環に組み込めるものでなくてはなりません。
ジムや教室に通い続けるのはいつまでもできることではありませんし、日常に組み入れるのは難しい。
一本歯下駄を履き始めてから2年近く経ちますが、これも普段散歩するときに靴から下駄に履き替えればいいだけなので日常のリズムを変える必要がありません。
俳句も続けていますが、これも一生ものでしょう。

世間ではこういうものが流行っているからと飛びつくばかりでは、続かない可能性が高い。刺激を求めるのではなく、死ぬまでできるものであるかという視点から見てみる。
仕事もそういう視点で見るといいのかもしれません。
最初に述べたように、一生ものの仕事は今日では少ないですが、仮に社会情勢によって続けられなくなったとしても、それは結果的なものにすぎません。
自分がこの仕事で一生を終えてもいいと思えれば幸せなことでしょう。
正直、古本屋で一生を終えるのは難しいと思っていますが、終えられるならそれでいいと私は思っています。

今やっていること、これからやろうとすることの基準を死ぬまでできること、そうできるのならそうしたいという基準で選ぶと生きていくうえで芯のあるものに育ってくると思われます。いろんなものが変化してもそこは変わらない。
高浜虚子の句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒となりうべきものか、あまりに変化が激しいのでこういった話は重要だとみなされません。
目の前のことで精一杯という人が多いからこそ、あえてその重要性を語ってみました。

 

 

JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学

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