効果音による承認ー「ゲーム90年の歴史」展に思う

  • 2018.08.15 Wednesday
  • 20:48

 

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城陽市歴史民俗資料館で開催中の「CONTINUE〜ゲーム90年の歴史」展を見てきました。
蒐集家の寄贈によるもので、昭和初期のアナログゲームからアメリカの初期のコンピュータゲーム、白眉はやはり私が子どものころのテレビゲームでしょうか。

展示されていたゲームウォッチからはじまり、ファミコンもずいぶんやりました。
小学生から中学生まで。
しかし、スーパーファミコンになるとまったく興味を示さず、ファミコンだけでテレビゲームはやり切った感があります。

なぜこれほど夢中になったのかを展示品を見ながら振り返ってみました。
そして、なぜ以降はほとんど興味を示さなくなったのかを。

結論から言うと、タイトルのとおり効果音によって承認欲求が手軽に満たされたということが大きい。
映像や音楽、ストーリーなどおもしろさの要素が複合的なのは認めます。
展示に「あのとき救った世界を、覚えていますか?」とありました。たしかにほとんどの子どもがRPG、シューティングゲーム問わず世界を救ったでしょう。
しかし世界を救おうと思ってゲームをやったことは私は一度もありません。
自分の撃った弾がインベーダーに当たって破裂音がした、ドンキーコングでジャンプして樽をかわした、スーパーマリオがキノコを取って大きくなったなど、自分の操作がこれでよしという証が効果音となる。それはつまり、君の操作は正しいよという承認です。

ファミリーベーシックという自分でゲームを作れるというキーボードが発売されたことがあります。それで作ってみたことがありますが、はじめは動きだけで無音。これだとキャラが動いてもまったく面白みがない。それがジャンプすると音が出るようにすると途端におもしろくなる。ただジャンプしただけなのに。効果音がやはり正しいと承認してくれたというわけです。今風に言えば「イイネ」と言ってくれたよう。

ファミコンもなかなかクリアできないものがあります。
小学生のころは頭にきてコントローラーを投げつけたこともしばしば。
お世辞にもいいとは言えない家庭環境があったので、テレビゲームさえ承認してくれないのかという思いだったのでしょう。
これが中学生になり、小学生から抱き続けていた自分とは何か、という問いと向き合って、誰にも理解されないながらも本を読み続けて考えていると収まってきたように思います。
理解してくれる人やものがないなら、自分で自分を承認するしかないというところに思い至ったからでしょう。

テレビゲームによる承認はお手軽なものだったかもしれませんが、それがお手軽だということがわかってくるまでは必要だったのかなと。
ゲームクリアも成功体験の一つで、成功体験というのは成功という承認だということもゲームが教えてくれたことです。
最近はカジノ計画によるギャンブル依存が取り上げられていますが、その依存は成功体験への、つまり承認してもらうための依存だということができるでしょう。
ゲームにしろギャンブルにしろ、良い悪いで決めつけられるものではなく、その根底にある欲求をに気づいていかなければならないと考えます。

 

一般には単になつかしいと思うだけかもしれませんが、私にとっては振り返って思索させてもらったよい展示でした。
こういう機会はめったにない。

 

 

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