全僕が泣いた−映画「ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやって来る」

  • 2016.04.28 Thursday
  • 12:44
ひさしぶりに京都みなみ会館で映画鑑賞。
「ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやって来る」。
ウィ−ンフィル、ベルリンフィルの世界2大オーケストラに次ぐ、いや並ぶと言っていい存在のオーケストラがめぐるワールドツアーに同行した記録映画。
予告編でいきなりマーラーの「復活」だったので、これだけで見ることを決定。
何年前になるか、小林研一郎指揮で歌ったこともあるほど、チャイコフスキーの「悲愴」と並んでもっとも泣ける曲なので。
以前、ラトルが指揮者のベルリンフィルに同行した記録映画を観て、いろいろ感じさせられるところがあったが、今回はオーケストラや団員だけでなく、世界で音楽を楽しむ市井の人にスポットを当てている点ですばらしかった。

ブエノスアイレスでは、シンバル奏者のたった一度の出番のために第4楽章まで待つ孤独と、クラシック好きのタクシー運転手が大半は車内で一人のクラシックを聴く孤独とがシンクロする。
ちなみにシンバルは片方で4キロの重さがあるとのこと。

南アフリカでは、クラシックではないがスチール・ドラムを叩くバンドの子たちの音楽をしているときの躍動感、笑顔に引き込まれる。
治安は悪く、若い女性への暴行が絶えず、貧しい暮らしの中、生き生きとした彼女たちの表情の豊かさが印象深い。
以前見た映画「世界の果ての通学路」の子どもたちを思い出す。
http://zentekido.on.omisenomikata.jp/diary/660170
クラシックは自分たちの演奏する音楽ではないが、どう感じたのだろうか。

コンセルトヘボウは40年ほど前にソ連の指揮者のコンドラシンの亡命を受け入れた。
そのため、このツアーまでロシアを再訪できずにいた。
サンクトペテルブルグの老人は、戦時下のソ連で秘密警察に連行され、ナチスドイツが支配になるとドイツの強制収容所に入れられるという「運のいい男だよ。」と自虐的に語らざるを得ないほど、壮絶な人生を送る。
祖母がマーラーが大好きで、100年ほど前にマーラーが指揮していたコンセルトヘボウが来た際、「復活」を聴いたという。
その孫の彼が、40年ぶりの「復活」の公演に立ち会う。これがラストシーンで、第5楽章が終り、頬を彼の涙が伝わる。万雷の拍手。

監督はユダヤ人の女性である。
インタビューを受ける側がみな自然で、ユダヤ人はどこの国にでも溶け込んでいかなければ生きていけなかったせいか、相手との関係の築き方が見事なのだと発言から伝わってくる。

コンセルトヘボウの指揮者はマリス・ヤンソンス。来日の折、一度聴きに行った。
バイオリニストにジャニーヌ・ヤンセンがいた。
彼女のヴィヴァルディの「四季」を聴いたときは「四季」にもまだ表現の可能性があるのだと思い知らされた。

予告編も非常にコンパクトにまとまっている。見事。
クラシック好き、その中でも少数の人しか見ない映画だとは思うが、全米ならぬ全僕が泣いた映画。
ぜひ見てほしい。



アムステルダムにあるコンセルトヘボウのホールには20年前に聞きに行ったことがある。
ピアノのソロ演奏で、オーケストラではなかったが、ホールの響きが美しかったように記憶している。曲も演奏者も覚えていないのだけれど。

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