哲学女子「哲女」あらわる
- 2016.11.21 Monday
- 20:22
書店で平積みになっていたので読んでみた。
原田まりるという若い女性の書いた『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』(ダイヤモンド社)
長いので略して『ニー哲』。
京都を舞台として、現代に訪れた実存哲学者たちが17歳の高校生、児嶋アリサにわかりやすく哲学の手ほどきをしていく。
ニーチェが中心で、児嶋を超人にするという。つまり自分の運命を引き受ける強さをもつ者。
児嶋はワーグナーの妻コージマから取った模様。ワーグナーも登場する。
エンターテイメントでありながら、読み応えのある内容になっている。
著者は哲学ナビゲーターと称するだけあって、哲学と縁の少ない人に哲学は浮世離れしたものでないと伝えようとしているのだろう。
登場する哲学者はニーチェ、キルケゴール、ショーペンハウアー、サルトル、ハイデガー、ヤスパース。
どの哲学者もつまるところは、責任を転嫁せずに自ら引き受ける主体性が大切だということ。
この本から哲学書を手に取る人がどれだけいるのかはわからない。
しかし、哲学は哲学者を研究することではなく、自らに引き付けて見聞きし、感じ考える営みであるから別にかまわない。
哲学というイメージだけで辛気臭い、頭でっかち、堅苦しいといったように思われがちだが、本来は人を自由にするものである。
女性では哲学の巫女と言われた池田晶子さんがいたが、ずいぶん読まれた割にはとっつきにくいイメージがあったのではないか。
女性がこれまで男性の領域だったところへ次々と進出してきている。
鉄道好きな女子は鉄子と呼ばれたりもするようで、哲学女子は哲女なのだろうか。
そもそも生きるという営みに性別は関係がない。
若くてかわいい女子が哲学を語ることはそういった壁を取っ払うことにもなるだろうから歓迎したい。
ちなみにビジネス雑誌「プレジデント」の今月号は哲学の特集で、これにも原田さんは寄稿しておられる。
経済界でも禅をもととしたマインドフルネスという瞑想が注目されている。
しかし、経済は人生の一部であり、さらに言えば人生は生の一部である。
根底は経済にも人生にもなく生にある。
生に重心を置いて深めていくことで人生や経済活動もまた変化してくるはずである。
木を見て森を見ずということわざは木だけを見ていてはいけない、ということ。
木と森とどちらも行きつ戻りつしながら見ていくことが大切。
哲学は森である。そういった意味で哲学が注目されているならば喜ばしいこと。
カフェで横に座った女性たちが感情的な愚痴でなく、哲学的会話をしているようになればすばらしい。
当店は、当然ながら哲学、心理学、宗教学などの人文系に力を入れております。
本の整理の際はご一報を。
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